今回は青年海外協力隊の保健師として、エクアドルで活動しておられる君津市出身の守 彰一郎さんの投稿を掲載します。

 
   
 

 赤道直下の国、南米エクアドル。その中でも灼熱の地方都市といわれるロス・リオス州ケベド市。そこに赴任した隊員の朝は早い。朝6時前、そこら中でニワトリが鳴き始める。しかし、ここは田舎ではなく、街中。そう、人々は食用のためのニワトリを常に飼っているのだ。ホームステイ先の我が家とて同じ。先月、自分のとなり部屋のドアを明けたら、ニワトリが何十匹もいてビックリした。
  31年の人生の中で、となりの部屋に人間ではなく、ニワトリが住んでいたなんて、初めてで、何だかワクワクしてしまった。
  そして、彼らは「生き物」から「食べ物」へと姿を変えた。ニワトリの解体は、すでに隊員訓練所(長野県駒ヶ根市)時代に経験していたが、やはり見るたびに考えさせられるものがある。日本では、すでに細切りのパックになった肉しか知らない私たち。ニワトリたちがいかに鳴き、暴れ、そして解体されていくかを知ることは。「生き物」を食べていかねばならない私たちにとっては、大切なことだ。なぜなら、「感謝のキモチ」が生まれるからである。パックの肉の背景にある「いのち」を考えると、帰国後の日々は、常に「感謝のキモチ」であふれていることだろう。
  さて、お気付きのように。「ニワトリ」ひとつでも話が尽きない。全てのことが日本とは異なり、全てのことがメチャクチャなケベドの街。1つ1つを伝えだしたら、本当にキリがない。興味のある方には、帰国後にゆっくり話す機会でもあればと思う。
  では、話を戻すと、昨夜の寝苦しい夜からやっと解放されて、ベッドの上でウダウダしていると、今度は「くだもの売りのおじさん」が、荷物に積んだ「くだもの」の名前を大声で叫びながら、売りにくる。また、その声が特徴のある良く通るいい声で、「つい今日は、何を売っているのかな?」と聞き入ってしまう。毎日、雨の日も、彼はほぼ同じ時間に、下の道を通る。隊員はその姿にその声に励まされてきた。日本と違って、たった1ドルでメロンが3個も買える国だ。儲かる商売ではない。それでも彼は「くだもの」を売り続ける。「おっさんもがんばっているんだ、オレもがんばろう」という気になる。
  起きてすぐにシャワーをあびる。昔から汗っかき(祖父譲り)の隊員にとっては、ケベドの環境は、ちとキツイ。灼熱の太陽と湿気が、隊員の体から常に汗を奪う。加えて風が全く吹かないため、とにかく暑い。だから、寝起きのシャワーが欠かせない。しかし、シャワーは「水」である。とうとう約2年、水シャワーを浴び続けたせいで、水シャワーが大好きになってしまった。だから、「日本に帰ってからも水シャワーを続ける!」と宣言したら、友人から「日本の水はもっと冷たいから、日本じゃできない」と反論されてしまった。確かに、そうかもしれない。ただ、矛盾するかもしれないが、灼熱の地ケベドでも、朝晩異常に冷え込む時がある。そんな時の水シャワーは、そりゃもう「修業の域の冷たさ」だ。それでも、水シャワーを浴び続けた。だって、お湯はないのだから。おかげで、たいした病気もぜず、今日まで過ごしてこれた。それは、水シャワーのおかげなのかもしれない。
  さて、活動先に行く支度を済ませると、下の階で朝食を食べる。たいていは、パン2個に、フルーツ(exリンゴ1個)、そして、砂糖がたっぷり入った自家製のフルーツジュースだ。エクアドル人は、コーヒーにしても、ジュースにしても、お菓子にしてもとにかく砂糖をたくさん使う。そのくせ食事では、超激辛自家製チリソースをこれまたたくさんかけて食べる。「いったい彼らはどんな味覚をしているのだろう?」といつも不思議に思う。砂糖入りジュースは、初め抵抗があったが、暑さに勝つためには多少の糖の摂取は必要と思い、飲み続けてきた。チリソースに関しては論外。あまりにも辛くて,とても使う気にはなれなかった。家から活動先までは,歩いて15分の距離。赴任当初は,この15分が緊張の連続で,顔がひきつる思いだった。というのもケベドの街は,エクアドル隊員が赴任する任地の中では,1,2を争う危険な街と日本にいた時から,言われ聞かされ続けてきたからだ。(このことは,日本の家族にはずっと内緒にしてきた。)
  事実,本当に身近に窃盗,強盗,発砲,時には殺人事件が起こり,ビックリする。夜の6時でさえ,もう一人で街の中心部を歩く気にはなれない。何だか危うい雰囲気が漂っている。彼らにとってみれば,隊員も「一人の外国人」。それだけ負っているリスクも大きい。だから,ただ歩くだけでも,常に背後を気にして,緊張感でいっぱいになった。しかし,2年近くもすんでいれば,そんな街にも慣れてしまうもので,当初の「顔のひきつるような思い」はしなくなった。それでも,常に最低限の緊張感は持つようにしている。そして,幸運なことに,今まで一度も犯罪の被害にあっていない。加えて,隊員が住んでいるサン・カミロという地域は,中心部に比べると,本当にのん気な所で,夜の10時でも人々が夕涼みで歩いているので,そうした環境にも助けられたといえる。ところで,危険なのは「人」だけではない。人の前で「加速」する車やバス,大型犬のノラ犬たちから身を守り,何とか活動先に着くのだ。その活動先とは,ケベド・ロータリークラブが運営する診療所で,低額の診療費(2ドル。ちなみに街の個人の診療所では15ドルから30ドル以上もかかる所がある)で貧しい人々のために医療を提供している。隊員はそこに,「保健士」として赴任した。診療所の周辺住民に対する健康実態調査と健康指導が要請内容だ。しかし,赴任してすぐ看護師が一人辞めてしまい,実質的に働き手の一人となった。主に,診療の準備がそれで,身長。体重・体温・血圧の測定を次々にこなしていく。診療所には,常在の医師がおらず,小児科,内科,産婦人科,整形外科の医師らが,自分の診療所と掛け持ちで,診察を行う。外では,15〜30ドルもする診療費がここでは2ドルで済むわけだから,患者さんも集まる。けっして経済的には豊でないエクアドル,その地方都市であるケベドはさらにその下を行く。みんなが自分の生活に必死の状況下で,貧しい人々に低額の診療を提供する診療所なんて,何とすばらしいんだろうと思っていた。
  ところが,この診療所が問題だらけだった。この2年は,次々に浮かび上がる問題と戦い続けた歴史ともいえる。では,なぜ戦い続けたのか。それは,地域の人々に対するこの診療所の可能性を信じ,診療所が良質の医療サービスを提供できれば,地域の人々,特に貧しい人々のためになると思ったからだ。しかし,そうしたことを真剣に考えてきたのは,はるばる地球の裏側からやってきた日本人とその助手についてくれたエクアドルの看護師だけだった。主要な医師たちは,診療所は診療所でも,自分の診療所のことで頭がいっぱいで,貧しい人々のことなど,口先だけで,実は何も考えちゃいないのが現実だった。そのため,当初,平気で診療をすっぽかす医師らがいた。たくさんの患者さんが待っているのに,来ない。病気の患者さんが待っている姿を見るのがツラくて,何とか解決できないか考えた。来られないんだったら,せめて連絡するようにと,電話の設置を求めた。そして,隊員が唯一信頼のおける内科の医師(彼は自分の診療所を持っていない)を土曜日だけの診療から,月曜日から土曜日までの毎日,診療できるように,「誰も逆らえない」診療所の出資者に直接かけ合った。そして,成功した。医師は朝だけだが,毎日働くようになった。それだけでも十分だった。なぜなら彼は,けっして患者さんを見捨てたりはしない医師だから。加えて本当に貧しい人々には,彼に頼んで内緒で「無料診察」を行ってもらった。本当に貧しい人々は,2ドルすら払えないのだ。彼は,それを快く受け入れてくれた。おかげで,患者さんのカルテの数は赴任当初5000枚だったのが,1年7ヶ月経った現在,2倍以上の1万1000枚にまで延びた。これは,隊員が診療所を何とか良くしようとがんばってきた一つの結果だと思っている。
  しかし,問題は尽きない。患者さんが増えれば,当然医療物品等の消耗品が早くなる。必要な物を買って欲しいと頼むと,必ず「お金がない」という返答がかえってくる。ん?ロータリークラブとは,お金持ちの集団ではないのか?(間違っていたら,ごめんなさい。)そう,ケベドのロータリーの面々は身銭を切るのが嫌なのだ。そのくせ,意味のないパーティーばかりを開いて,お金を消費する。そのお金を貧しい人々のため,診療所のために使おうという気にならない所に問題の根深さがある。エクアドルには,明らかな「貧富の差」がある。お金持ちの人々は,口では「貧しい人々のため」と言うが,それは単なる名声を得るためだけのまさしく口実で,その多くの人々が,貧しい人々を侮辱し,彼らの生活の苦しさなど考えようとしない。誰よりももっとお金を持とう,もっと車を持とう,そんなことに夢中になっている金持ち連中がいっぱいいるのだ。はっきり言って,本当に貧しい人々の生活は,日本人の想像を絶している。日本にある不幸な話は,こちらでは普通にある話なのだ。
  隊員は,保健師として地域を巡回してきたが,最貧層が住む地域に行った時には,言葉を失くした。竹でできた高床式の家に,何十人と住む人々,子どもたちの服は,ボロボロで,一人の男の子は歩けないまま5歳になった。また,床も壁もなく土の上に住む人々。ドブ川で体を洗う子どもたち。小遣いあるいは生活費を稼ぐため,学校に行かず市バスを1日中乗り継いで,1個10円のガムを売り続ける子どもたち。生きるため,簡単に犯罪に手を染める人々。ただでさえ貧しいのに,娘が腎臓病になり,移植手術のためのお金を母親が必死になって捻出し,何とか成功。しかし,今度は糖尿病で父親が倒れてしまい,再び手術費が必要となった。隊員は,その家族のために,日本から持ってきた物で福引きを行うことを企画し,その収益金を家族に全て寄付することにした。
  本当に困っている人が身近にいたら,「何か自分にはできないのか」という気になる。しかし,その数があまりにも多すぎて,つい目を背けてしまいたくなる自分もいる。それぐらいこの国の貧困問題はバカでかく,そして複雑だ。そうした現実を直視しないまま,日本に帰っていくボランティアも多い。もし,これを読んで海外援助に興味を持った方々,あるいは前から興味を持っていた方々で,海外に赴く機会がある方々は,ぜひその地域に根付く,目を背けたくなる現実,問題を直視して欲しい。特に,ストレスフルな日本の社会。視野が狭くなりがちな日々の中で,世界にある貧困問題に目を向けてみると,自分の考えの狭さや人間の小ささに気付くこともあるのではないだろうか。「はっきり言って,どうしていいのかわからない。」それが本音だ。でも,どうしていいのかわからないながらも,問題解決に向けて知恵をしぼれるのが,世界の中で日本人が唯一持っている可能性のような気がする。どうです,一緒になって考えてみませんか?(あとがき)ごめんなさい。「隊員の一日」を書くつもりが,最後は「青年の主張」になってしまいました。他にも書きたいことがたくさんあるが,本当にキリがないので,この辺にしておきたい。第一,「保健師」として何をやってんだ?という同業者からの声も聞こえてきそうだし,活動先の上司陣に,「ボランティアには何も発言する権利はない!」と言われた事件(?!)など,語りたいことは他にもある。この4月に帰国する予定だが,興味のある方には,またお伝えできる機会があればと願う。

灼熱の地にて・・・青年海外協力隊
  13年度3次隊2004年1月 エクアドル派遣
  保健師 守 彰一郎(もり しょういちろう)
  (元君津市人見在住 KIES会員)